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地デジ難民について考えてみた
(2011年7月25日)

 

昨日ついに地上アナログ放送が終了した。
私の場合、去年から地上デジタル放送を楽しむようになっていたが、
昨日正午、青色のアナログ放送終了の画面を目にしたとき、本当に来てしまったんだと
やっと実感したものだ。

その次の日にあたる本日7月25日付南日本新聞でも、
1面に「地デジ完全移行」という題でトップ記事として掲載していたが、
その一方で地デジが見られない「地デジ難民」の存在を社会面でクローズアップしていた。

地デジ化で負担を強いる国のやり方に不満を持ったまま、
結局最後までアナログ放送を見続けた男性。
その方は13日付の同じ南日本新聞の「ひろば」に地デジ化への不満を投稿された方であった。
その時書かれていた気持ちは変わることはなかったようだが、
ここまで来ると読み手としては「笑っていいとも!」の観客のような気持ちになる。
あの思考停止したような、乾いた全肯定コール。
「そうですね!」

つまり、この方に疑問を持ってはいけない、反論してはいけない、
そういう雰囲気が漂っているのである。そこが新聞側の狙いなのか?そういう風にも感じてしまう。

不思議に思ったのは、衛星放送(BS)については一切何んにも語っていない事。
BSについてどう思っているのか?とおそらく新聞側は尋ねたのかもしれない。
ただ地デジ難民記事ということで余談扱いとして。

地デジとは関係ないじゃないかと思われたかもしれないが、
地デジ対応のTVや録画機のほとんどはBSチューナーが付属している。
私のTVはアナログしか映らないブラウン管だけど、
そこから地デジやデジタルBSチューナー付き録画機をつないでいる。

ただしBSは「パラボナアンテナ」という地上波アンテナとは別のアンテナを取り付けなければ
見ることができない。
BSの放送開始は、民放KYT(鹿児島読売テレビ)の開局よりも早かったから
存在自体は知っていたのであろう。ただし、BSについても、

1、パラボナアンテナ
2、NHK受信料の増額(2波増えるから納得するとは思うが)
3、WOWOWのような有料チャンネルの存在

以上の視聴者側の負担が必要になるという点で、興味が持てなかったのではないか?と。
記事を読む限り、そう思ってしまうんだよなあ。

背に腹は替えられないということで、TVを買い替える事を考えているようだが、
BSに魅力を感じない上で、そこまで地上波に抗うのであれば、本当にTVと決別してもいいのでは?
ラジオはいつでも聞ける環境にあるみたいだし。

そしてラジオでも、今までのラジオ受信機もアナログ放送終了に伴い、
今までのテレビ音声が聞けなくなった。
つまり、テレビ音声のラジオとしての楽しみがゼロになったのだ。
ラジオでの楽しみが減ってしまい、困惑している視覚障がい者の記事も載っていた。

これも13日付の同じ南日本新聞にほぼ同じ内容の記事が載っていたけれど、
テレビ局側への不満でとどまっているんだよなあ。
ラジオ局への注文をもっとストレートにぶつけたような記事にすべきだったのでは?

だってもうTVの地上波アナログ放送の再開なんてありえないし、引き返せない。
地デジの音声受信ラジオなんて、まだ商品化されていないからまだ時間かかるし、
てっとり早くラジオ放送の充実にすがるしか術がないのでは?
視覚障がい者にとっては24日から切実なんですから!


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