Diary (思い出の記録) vol.1
<98・1月〜2000・12月>
はじめに、 好きな言葉
はじめに
1998年に両親が「走り来たれよ、吾娘よ」を出版し、私が鹿児島女子大学(現・志学館大学)を卒業すると、
私の生活は大きく変わっていきました。まさに激動の日々でした。苦しかったこと、悲しかったこと、嬉しかった
ことなど数え切れないほどです。その中で私はたくさんのことを学びました。いつも私を支えて下さる多くの方
々に感謝します。
好きな言葉
「人生は短い。でも、かけがえのないもの。だから私は夢や希望をあきらめません。」
“Life is short but precious. That's why, I won’t give up my
hope and dream.”
「世界中に平和が訪れますように」
“I hope peace will come to the whole world”
1998・1月25日
「走り来たれよ、吾娘よ」の出版。
3月20日
鹿児島女子大学(現・志学館大学)での卒業式。
南日本新聞をはじめ朝日新聞、毎日新聞、読売新聞などの新聞社が来ていて、驚いた。
学長の砂川先生が祝辞で私のことに触れて下さり、両親も一緒に感動した。(ニュージーランド・
スピーチ参照)
4月25日
「走り来たれよ、吾娘よ」の出版記念会(鹿児島市内・林田ホテル)
200名の参加。幼稚園時代から大学時代までの恩師の方々、親戚、両親の友人・知人の方々な
どの感動的なスピーチが続き、すばらしい記念会だった。
5月9日
第3回アジア太平洋ダウン症会議への参加(ニュージーランド・オークランド)
五人のパネリストの一人として英語でスピーチ。スタンディング・オベーション(総立ちの拍手喝
采)で感動した。
10月18日
鹿児島経済大学(現・鹿児島国際大学)・蓑毛先生の教室でのスピーチ&交流。
講演後の学生さんたちの質疑・応答もさまざまで、楽しいひとときだった。
11月25日
ダウン症フォーラムin神奈川・横浜(横浜大学)
多くの方々との出会い&短いスピーチ。原稿を忘れるというハプニング発生。
12月24日
九州民間教育研究会(嬉野集会)松本様一家との出会い。
〃,テレビ・「ゆっくりと、しっかりと」取材。中村(旧姓池上)様ご一行、来訪。
1999・1月 地元のテレビ局(KKB)の放送・「ゆっくりと、しっかりと」に家族三人で初出演。
7月11日
私が初めて書いた記事・「出生前診断に思う」が南日本新聞に掲載。
〃,18日、第18回先天異常学会(鹿児島県自治会館)
県内での講演はこれが初めて。テレビ局五局、朝日新聞をはじめ五社の取材で大わらわ。
10月 鹿児島県鹿屋市在中の小児科医・松田幸久先生の著書『魔法のドロップ』を英訳。
〃,21日、ダウン症フォーラムin大阪・国際ミニシンポジウム(大阪大学)
11年前の98年、ニュージーランドでのスピーチで一緒だったオーストラリアの女優、ルース・
クローマーさんと参加。
〃,23日、第16回障害者歯科学会に出席(徳島大学)
徳島大学歯学部教授・西野瑞穂先生との出会い。講演後、感謝状を頂く。懇親会で阿波踊
りを初体験。
〃,30日、“MAGIC CANDY DROP”として出版。
2000・1月 週刊誌「女性自身」の山内様とカメラマンの高野様、来訪・取材。
3月 同雑誌に大きく掲載。反響が大きい。
〃,高校時代の級友の結婚式に同じクラスメートと一緒に招待される。ウェディングドレス姿がと
てもきれいだった。
4月 フジテレビ「奇跡体験アンビリバボー」の取材。
5月 同番組放送。全国放送ということもあって感動の手紙や電話が殺到し、この番組のディレ
クターも驚いたという。
6月4日
同番組に出演していた愛知県碧南市に住んでいる重度の心臓病の岡田貴嗣くんと初めての
出会い。東京の五十嵐さんと名古屋テレビのディレクターと一緒に碧南市へ向かった。まさか
この日の出会いが最後の別れになるとは思わなかった。
〃,15日、ついに念願の夢だったパリに出発。慣れない英語とフランス語での旅に戸惑いなが
らも、いろんな体験を味わうことができた。詳しくは「夢紡ぐ綾ー母と娘のデュエットー」(かもが
わ出版)に書いているので、ぜひ皆さんも読んで下さいね。(まわし読みなどしないでちゃんと
買って下さいね。なんちゃって。^^)
8月 「夢紡ぐ綾」の原稿を自分専用のノートパソコンで開始。
9月9日
いとこの結婚式に家族三人で福岡へ。(ホテル・シーホーク)
台風が九州に接近するということで、急遽予定を早めて前泊することになった。
10月 「夢紡ぐ綾ー母と娘のデュエットー」、脱稿。
11月25日
岡田貴嗣くん、逝去。(享年・12)
私たち家族が講演で福岡へ出発する直前の朝に貴嗣くんのお母様から知らせが届いた。6月
に家族三人で貴嗣くんに会いに碧南市へ行った時は目がきらきらして明るい様子も見られただ
けに(少し頬が赤かったけれど・・・)、突然の訃報に言葉を失ってしまった。
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