本朝
本朝食鑑

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『本朝食鑑』について
 近時、世を挙げて蕎麦麺を嗜み、大根汁の極めて辣いものが喜ばれている。それで各家では、争って甚だ辣いものを種えている。・・・・・・一般に夏時には辣味が少なく、冬時には辣味が多い。近頃、江都市中で、信州景山大根および夏大根の種を販売しているが、いずれも甚だ辣いもので、専ら蕎麦麺(めんるい)に用いる。これらは尾州の鼠大根の辛さに劣らぬといはれているが、まだ試したことはない。 
                   (『本朝食鑑』1695元禄8年−−大根のくだりより抜粋)

国立国会図書館蔵『本朝食鑑・三菜部』

 

芭蕉が姨捨の名高い名月を見ようと木曽谷を通りこの地にやってきたのが貞享5年で(この年は改元して元禄元年になるが)その数年後の元禄10年(1897)に、江戸で出版された『本朝食鑑』という食べ物の百科事典のような書物に、信州の大根のことが次のように記されている。

 「ちかごろ江戸をはじめ各地で辛い大根の汁で麺類を食べることが大層流行っている。そこで農家は競って辛い大根を栽培している。中でも信州景山大根や夏大根の種を江戸市中でも売っている。これははなはだ辛いもので、尾州の鼠大根にも劣らぬ辛さだという・・・・・」
 そのころから丁度300年目にあたる今の世に、ここ更埴地方にはそうした食べ方が、依然として人々に愛好される郷土の伝統食「おしぼりうどん」 として残っている。
 かつてはいたるところで流行していたようだが、次第に地大根の味の良いものが無くなり、徐々に消えていったものらしい。
 昔の名残のように所々に同様の食べ方がのこっているが、いずれも当然のことながら味の良い大根が作り続けられているところだ。県外では高遠領主が移封された福島県の会津地方、山形・秋田の一部の地区など、いずれも辛い大根のとれるところだ。

 県内でも、代表的な更埴地方以外にこれだけ広い地域で伝えているところはない。しかし点々と昔の名残らしきところが残っている。
 天竜川を挟んで伊那市の対岸の地区に始まり高遠のあたりに残っているそうだが、会津に伝えられた原型だと思われている。小田切・若槻などの今では長野市に合併した地区にほんの狭い地区で伝えているところがあるというほかは、ほんの名残を残すのみかもしれない。

またまた、『本朝食鑑』について
 元禄8年に江戸で出版された「本朝食鑑」という、 あらゆる食べものについてその性質・取り方・効能などを記述した食品百科辞典のような書物があり、その中で大根についても述べている。(現代語訳を添えて有りますから参照して下さい)
 この「本朝食鑑」の記述によれば、いまをさる300年の昔にも辛い大根の汁でうどんや蕎麦などの麺類を食べるということが大いに流行していたという事がわかり今更ながらびっくりします。
 最近は世の中から次第に大根の辛さが消え去り、多くの男達は、かつてはもっと辛い大根が沢山あったのに、と、ややノスタルジックに考えている。
 高度成長期の大量流通機構が日本農業と日本人の食生活をすっかり変えてしまった。パン食の普及が食卓から次第に沢庵漬を消し去ったのと共に、昨今の八百屋さんには辛い「おろし大根」が見られなくなってしまった。「お父さん」がたが、秋の味覚「さんま」の塩焼の味覚を楽しもうとしても、辛みのきつい大根おろしが付いて居ないと、イマイチご不満でありましょう。辛味大根が無くなると「お父さん」には秋が来ないのです。流通の都合で地大根が消えるのはまことに残念です。農家の皆さんに頑張ってもらい再び辛い大根を栽培して貰いたいものですね。

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2007/03/21

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