松尾芭蕉
松尾芭蕉の更科紀行

 版画は森獏郎「更科紀行」より

 「更科紀行」にのこる芭蕉の句、
   「身にしみて 大根辛し 秋の風」−一「秋風塚」

 この句の碑は県内に3基あるが、下条村親田にある太子堂には江戸時代の建立と見られる句碑が立っています。名古屋から木曽谷を通り、姨捨の田毎の月を目的にしたこの紀行では、立ち寄っていない筈のこの地にこの句碑があるのは、伊那市山寺や四賀村無量寺にある同じ「秋風塚」と同様に、芭蕉を慕う後の世の俳句愛好者によって立てられたものと思えます。

松尾芭蕉の更科紀行
 平安時代から、沢山の和歌に詠まれてきた、更科の月を見ようと思い立った俳聖松尾芭蕉が、「笈の小文」の旅に続いて、名古屋から越人を伴ってこの地を訪れたのが貞享五年(1688)のことであった。九月に改元して元禄元年となるこの年の八月十五夜の月は良く晴れていたらしい。

  「更科や みよさの月見 雲もなし」  越人

と、この旅に同行した越人が詠んでいるところから、この年の名月は三晩とも よい月が見られたようだ。

  「十六夜も まだ更科の 郡かな」 芭蕉

と芭蕉自身も句にしている。俳句研究者の矢羽勝幸先生によれば、この「十六夜」の句は坂城の俳人で名主をつとめていた宮原拾玉さんの家に泊まった時の作らしい。『更科紀行』の中には、「十六夜」の句と並んで、此の地に対する挨拶の句と受け止められる次の句が載せられている。

  「身にしみて 大根辛し 秋の風」   芭蕉

 此の句について、江戸時代の石川積翠という研究者が『芭蕉句選年考』という書物の中で、「これは彼が木曽の地にあって詠んだもので、かの地には辛味大根があり、云々」と述べている。それ以来、俳句の研究者達は、みな彼に追随してその意見を覆さない。ただ森 澄雄さんの書かれたものの中に、坂城あたりにある大根が大層辛くて等と、此の辺りを訪ねてきてみて初めて気づくような一文がある。
 私は芭蕉が坂城の宮原氏宅でご馳走になった蕎麦かうどんに付いていた大根汁のあまりの辛さに、此の土地への挨拶の句として詠んだものと推測する。サンマの塩焼きに添えられた大根下ろしが多少辛いからといって俳句を詠むなどというものではないと思うからである。
 後で述べるように、当時すでに麺類の付け汁には辛い大根汁に味噌や溜まり醤油で味付けしたもので食べることが世間一般で大いに流行っていたらしい。さすれば、馳走になった蕎麦かうどんの付け汁の辛さとうまみに対する感嘆の句であり、又そうした産物のある当地に対する挨拶の句でもあったはずだ。
(なお、この句の写真は表紙のHPにもあります。)

 

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2007/03/21

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