あれから5年・・・

もう、あの悲しい出来事から5年がたちました。1994年5月1日。F1ファンにとっては忘れられない出来事が起きたのです。第3戦サンマリノGP、このグランプリは1日目から不安な出来事が多すぎました。ブラジル人ルーベンス・バリチェロの大クラッシュ、そして翌日ローランド・ラッツェンバーガーの事故死。速すぎるF1のスピードを落とそうとしたFIAのハイテク禁止によって、何かが変わってしまったようでした。

 


そして、運命の5月1日。だれもが「何かがおかしい」と思っていた。
セナは長年の宿敵で昨年引退したプロストに「君がいなくてさみしいよ」と話しかけた。こんな事は今までなかった。
決勝スタート直後にエンジンをストールさせたレートにラミーが激しく追突。タイヤや破片が観客席に飛び込んで負傷者がでた。

今回から導入されたペースカーが先導して車両の除去作業が進む・・・
レースが再開して2周目にあたる7ラップ目。セナの時間はタンブレロコーナーで止まった。
緩やかな左カーブでセナのマシンは突然右へ向かい(直進していったのだ)時速250Kmでコンクリートウォールに衝突、大破して止まった。

セナはコクピットから出ようともせずただひとたび体を動かしてそのまま2度と自分から動くことはなかった。
オフィシャルが助け出したもののセナはすでに心臓が停止していた。ヘリに乗せられ病院へ行く途中にその鼓動は再び始まったものの、数時間後に医学的な死が宣告された。

直接の死因はクラッシュした際に折れたフロントサスペンションがセナの頭部に刺さったことだった。セナが病院に搬送されたときに血だまりができていたが、それははじめのうち発表されていた気管切開の後ではなく、セナの脳漿だったそうだ。

あのとき、レースが中断していればマシンの再チェックの際に不具合がわかっていただろう。
また、セナの表情は明らかにおかしかった。このときに誰かが止めていればセナは走らなかっただろう。

この後も、いくつかの事故が続きFIAはマシンの安全性に関する大幅なレギュレーション変更を発表した。
こうして不世出のチャンピオンドライバー、アイルトン・セナがいなくなった日、それがこの5月1日だ。

 


じつは、この日テレビ中継を見ていてレースシーンを流しているとき、うとうとしたときに見た夢の中で、霧の深いコース脇にヘルメットを抱えてタイヤに座っていたセナが、マシンに乗り込み走って行く光景をみて目が覚めた。それからしばらくして、レースの放映が中断されセナの医学的な死が発表されたんですが、その時間がちょうどその夢を見た時間とぴたりと一致していたんです。
偶然とは思いますが、そんなことがあったんです。(実話です)

こんな事もあって、5月1日は僕にとって特別な日なんです。


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