12月30日
飴屋敷跡(鹿児島県鹿屋市吾平町)
あめやしきあと。 豊玉姫が子供を残して海に帰ってしまったため、困り果てた山幸の元に、一人の老婆が現れる。 老婆は山幸に飴を渡し、それで子供を育てたという。 その老婆の実家の跡らしい。
吾平山稜(鹿児島県鹿屋市吾平町)
あいらさんりょう。 ウガヤフキアエズ命と、その妻の玉依姫命の陵墓。 川内の愛宕山稜(ニニギ命)、溝辺の高屋山稜(山幸彦)と共に、鹿児島の三大陵墓である。
1月3日
生目神社(宮崎県宮崎市)
いくめじんじゃ。 (主祭神)品陀和気命(応神天皇)。藤原景清公。
源平合戦に敗れた平景清は、この地にたどり着き、源氏の天下は見たくないと、自分の両目をえぐって投げ捨てた。その目玉が落ちた処が亀井山の(おめかけの松)その目を祭ったのが生目神社である。 こうした由来で、目にご利益がある神社だそうだ。
ウガヤフキアエズ命と、その妻の玉依姫命の陵墓。 川内の愛宕山稜(ニニギ命)、溝辺の高屋山稜(山幸彦)と共に、鹿児島の三大陵墓である。
江田神社(宮崎県宮崎市)
えだじんじゃ。 (御祭神)伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)
お祓いの発祥の地、「かけまくも畏(かしこ)きイザナギの大神、筑紫の日向の橘の小戸の憶原に・・・」の祝詞の、あの地である。
日本最古のご神体を祀る神社。
宮崎神宮(宮崎県宮崎市)
みやざきじんぐう。 (御祭神) 初代天皇神武天皇とその父ウガヤフキアエズノミコト、母玉依姫命タマヨリヒメを祀る。
ちなみに神宮とは、神宮は天皇や、その先祖を祀る神社にのみ許される呼称です。
みそぎ池(宮崎県宮崎市)
みそぎいけ。 イザナキが黄泉の国のけがれをはらうため、みそぎを行った場所といわれています。
想像していたより、小さな池でした。
住吉神社(宮崎県宮崎市)
すみよしじんじゃ。
表筒男命(ウハツツノヲノミコト)・中筒男命(ナカツツノヲノミコト)・底筒男命(ソコツツノヲノミコト)みそぎで生まれた住吉三神を祀っています。
住吉三神は、航海安全の神として崇拝されてきたらしい。
丸に「元」の神社に伝わる紋章は、全国二千余の住吉社の元宮である標であると伝えられる。
疱瘡(ほうそう)除け・無病息災の神社としても崇められている。
佐野原聖地(宮崎県宮崎市)
さのはらせいち。
神武天皇の父、ウガヤフキアエズノミコトの宮殿跡とされ、佐土原・島津藩の崇敬も厚かった。また、神武天皇誕生の地と伝えられる。
巨田神社(宮崎県宮崎市)
こたじんじゃ。
祭神は天太王命(あめのふとだまのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大帯姫命(おおたらしひめのみこと)。
古くは巨田八幡と称しました。宇佐八幡宮(大分県)の荘園である田島荘の鎮守として建立され崇敬されました。 武家の神社だったようだ。
年に県の文化財として指定されています。その他、景行天皇御腰掛けの石もあります。
西都原古墳(宮崎県西都市)
さいとばるこふん。
西都原古墳群の中で最大のものは、日向の高千穂の霊峰に降臨された天孫ニニギノミコトの御陵といわれている全長219mの巨大な古墳である男狭穂塚(おさほづか)と、ニニギノミコトのお妃である木花開耶姫(このはなさくやひめ)の古墳である全長174mの女狭穂塚(めさほづか)があるが、宮内庁の管轄下にあり立ち入ることはできない。ちなみに、日本の国を統一された神武天皇はニニギノミコトと木花咲耶姫のひ孫になります。
石貫神社(宮崎県西都市)
いしぬきじんじゃ。
石貫神社は、コノハナサクヤヒメの父・オオヤマヅミノミコトを祀る。ここと、西都原古墳群の代表的な古墳のひとつ「鬼の窟古墳」の話が面白い。
悪さばかりして人々を困らせていた鬼がコノハナサクヤヒメを見初め、父のオオヤマヅミノミコトに嫁に欲しいという。そこでミコトは鬼に難題を吹きかけた。
「明日の夜明けまでに大きな塚を造れ」と。
鬼はすぐに塚(古墳)造りに取りかかり、やがて完成した塚に安心した鬼は、うとうとと寝てしまった。そのすきにミコトは天井石を一つ抜き取って草むらに隠してしまった。
やがて一番鶏が鳴いて、鬼も目覚め、ミコトと一緒に完成した塚を見に行ったが、天井石が一つ足りない。ミコトは塚が未完成なのを理由にヒメとの縁談を断った。
実際の鬼の窟古墳は、加工した切石を積み上げた石室があり、天井石は畳2枚分ほどの大きな石が乗っている。面白いことに、天井石がひとつ足りないのだそうだ。石貫神社の参道入り口には、ミコトが抜き取ったという石がある。
この石は、西都原から約30km離れた都農町の名貫川上流の石だとみられている。重機もない時代に、どうやって運び、加工し、積み上げたのか。とんでもない大工事だったはず。とても人間業ではない、ということから「鬼」の名が付いたらしい。
都萬神社(宮崎県西都市)
つまじんじゃ。
(主祭神)コノハナサクヤ姫
都萬(つま)神社はその昔、都農、霧島、高千穂と並ぶ、日向式内四座の一社でした。続日本後記にも「承和4年(837年)日向国子湯郡妻預官社」と記され、拝殿には宝徳3年(1451年)に献上されたという日本一を誇る巨大な太刀(3.5メートル)が安置されています。
本殿は豪華な桃山様式建築で当時の社風を物語っています。また、神社の正面を流れる桜川に架かる石積みの太鼓橋は、水や杜と調和して、壮言な桃山庭園の趣を漂わせています。 この神社には例年7月7日に行われる更衣祭という神事があります。
前日に浜下り(みそぎ)があり、当日は神官が浜から持ち帰った真砂をまいて神殿を清め、御神体のコノハナサクヤ姫を紅や白粉で化粧し、真新しい白衣に着せ替えます。この日、短冊に願い事を書き、神前の笹竹に結ぶと必ずかなえられるといわれ、多くの参拝客でにぎわいます。
境内には、樹齢1200年という大クス(根回り16.4メートル、高さ40メートル)があり、「妻のクス」として国指定の天然記念物になっています。