すべてはここから始まった~PC-8001~

PC-8001カタログ日本に家庭用のコンピュータ、いわゆる「パソコン」が登場したのは今からちょうど20年前の1979年である。
発売したのはNEC(当時は新日本電気の社名が正式名称だった)で型番がPC-8001という。

*今からちょうど20年前:この文章をはじめて書いていた時期で、2011年現在では32年前となる。なんてこったい…
*新日本電気:かつて存在したNECの子会社。1953年NECのラジオ部門を独立させたのが始まりで、その後NECホームエレクトロニクス(通称ホームエレ、HE)と社名変更。家庭用ゲーム機PCエンジンの後継機で大ゴケして経営が悪化、本家に吸収されたり、分社化して2002年に消滅した。


本体の定価が16万8000円で、個人で使うにはかなり高い価格だったが、いままでのワンボードマイコンとは違って、当時急速にシェアをのばしてきたソフトメーカー、マイクロソフト社の開発したN-BASICという高級言語を搭載した画期的なもので、電源を入れたら即使える。というすばらしいものだった。

*かなり高い価格:PC-8001発売当時の大卒の初任給が11万2525円だったことを考えるとやっぱり高いと言えるのかも… 
*ワンボードマイコン:当時のマイコン(パソコンではない)というと、基板にキーと7セグ表示のLEDを複数付けて、多数のICが搭載された、メカ丸出しの無駄に大きな電卓のようなのが多かった。
*N-BASIC:当時のマイクロソフトのBASICは各メーカーごとのハード仕様に併せてカスタマイズされたため、方言があり変数やコマンドの互換性は少なかった。


僕がパソコンなるものにはじめて出会ったのもとある電気屋で見かけたこのPC-8001だった。そのなかでゲームが動く画面を見てそのまま釘付けになったのをおもいだす。当時小学生だった僕も欲しくなり両親にねだったが、当然ながら「だめ!」と一蹴された。

仕方なく電気屋通い(注)をすることになった。

*電気屋通い:当時ディスプレイにタイマー付けて(昔の温泉旅館などにあったコインタイマー)1時間100円でPCを利用できた。

しばらくして、電気工作の雑誌にPC-8001用のプログラムが掲載されていたのだが、早速挑戦した僕は30行少々のプログラムリストを2時間かけて打ち込みrunコマンドを実行した・・・

*runコマンド:プログラムを実行するコマンド。このBasicコマンドが語源となり「プログラムが走る」って言葉が生まれた…

しかし、プログラムは動かずlistコマンドを打ち込んでもなにも出てこなかった。そう、いまとなっては当たり前のこと“リターンキー”を押して改行していなかったんだから。リターンキーを押さなくてはプログラムはPCには記憶されない。
しばし呆然とするその横で同じようにプログラムを打ち込んでいる中学生の姿が・・・彼は1行打つごとになにやら右側のキーを押している。そう、それこそリターンキーだった!

*リターンキー:今のEnterキーの事。英文タイプでは改行=行頭に戻るって意味でリターンキーと呼ばれていたが、入力決定という意味であればEnterキーと呼ぶのが正しいのかも知れない…

そしてプログラムは無事入力されてゲームが動いたときの感動はひとしおだった。これがPCにひかれていったはじめの話である。

PC-8001銘機PC-8001
パソコン創世記の1979年にNECから発売された。CPUにはインテルの8080をザイログ社がコピーしたZ80というCPUを採用。
RAMは初期状態で16KBあった。カセットの他8インチフロッピーディスクも使えて、個人はおろか会社でもたくさん採用された。マイクロソフトのN-BASICを搭載し、モニターをつなぐだけで使うことのできた文字通りスタンドアローンで使用できる優秀なPC。古参のプログラマはこの8001でマシン語を覚えたという人も多いはずである。
ちなみに、このPCの仕掛け人は元アスキー社長西とマイクロソフトCEOビル・ゲイツその人であることは有名な話である。