Diary(想い出の記録)   Vol.11
  <2010・6月〜12月>

二本松講演&高村智恵子の故郷を巡る旅

* 「子育てをしていく勇気を頂きま
 した」

* 「ただただ涙が止まりませんでし
 た。健康なのに、私の心は病んでい
 る。勇気を持ってがんばろうと思い
 ます」

* 「ダウン症について誤った認識を
 していました。反省です」

* 「夢や希望といった光が見えまし
 た。そして伝えていきます」

2010・6月11日
   
* 鹿児島空港から東京・羽田空港へ。東京から新幹線で二本松市へ。
     福島県には3回ほど来訪しているが、二本松市は初めて訪れる所だった。
     城下町であり、高村智恵子の故郷でもある二本松は自然豊かな街だった。
     郡山駅で列車を降りると、佐久間先生と実行委員の皆様が駅の改札口前に迎えに来て
    下さっていた。
     それからNPO法人スケッチブックへ。事業所が並ぶようにして二つに分かれており、
    所長で理事長でもある石原様がスケッチブックの中を案内して下さった。
     実行委員の渡辺様のお車で市内の岳温泉に案内され、立派なお庭のある広い旅館だっ
    た。築100年という歴史があるということだった。
     夜、実行委員会係の神野藤(かんのとう)様という珍しい名前の方と部屋で打ち合わ
    せをした。
     

 喪中につき 年末年始のご挨拶を失礼させていただきます。

 母方の伯父が本年8月に永眠いたしました。
 私たち家族にとって母方の伯父との別れはとても悲しいものでした。

 本年中はいろいろとお世話になりました。
 私は皆様に支えて頂いて、たくさんのことを学ぶことができました。心から感謝致しま
す。有難うございました。      
             2010・12月   
                      岩元 綾
 

12月3日

 私も新しく買い換えたばかりのカメラ付き携帯で銀
杏並木を中心に4,5枚写真を撮った。
 大学が2011年3月いっぱいで鹿児島市内に移転するこ
とになっているため、ここに通うのも終わりに近い。
 93年にこの大学に入学してからずっと見続けてきた
母校の銀杏並木ともお別れと思うと、私にとって感慨
深いものがあり、忘れられない想い出の写真となった。

 

* 父とカメラで銀杏並木を撮りに志学館大学へ。
  この日は雲ひとつない日本晴れで、小春日和の暖かい陽気だった。その太陽を受けな
 がら鮮やかな黄色を放つ銀杏の葉はキラキラ輝いていて、とてもきれいなものだった。

 

11月20日

* NHK大阪放送局の住田様が来鹿。鹿児島空港の到着ロビーで待っていると、住田様に声
 をかけられ、びっくり!なんと、すでに到着されていたのだ。
  その後、家族三人で住田様と空港内のレストランで会食。楽しいひとときだった。

10月29日

* 第3回椋鳩十祭(鹿児島女子短期大学100周年記念ホール)鹿児島が世界を誇る松風会
 (椋鳩十顕彰会)主催、鹿児島女子短期大学
  松風会の事務局長をされている畠野先生のお誘いで、家族三人で大学へ。
  今年で3回目を迎える児童文学作家:椋鳩十(本名:久保田彦穂ー長野県下伊那郡喬
 木村出身ー)祭は『マヤの一生』や『大造じいさんとガン』などの絵本を世に出し、晩
 年を鹿児島で過ごした椋鳩十の82年の軌跡をみんなで語り合い、偲びあうものだ。
  この会に参加することによって、何か私のこれからの絵本作りに生かすことができた
 らという想いをあらたにした。
  午後には鹿児島市立美術館の会館25周年記念の一環で田中一村展を見に行く。栃木生
 まれの一村が絵を描きながら東京、千葉と転々とし、晩年を単身奄美大島に移り住み、
 69年の一村の集大成がほとんどすべて展示されていた。
  奄美大島を愛し、奄美の風景を時に激しく独特のタッチで描き続けた一村の人生に私
 の胸は熱くなった。

10月24日

* 大学時代に勉強していたフランス語の「ムフェタール通りの魔女」(長きにわたって
 ノートに書きためていた訳)を生かして書き上げた創作絵本「ダウン症のアヤさんは魔
 法使い?」の原稿をあかね書房に送る。
  また一つあらたな夢の一歩を踏み出すことができたが、翻訳・出版することの難しさ
 を学ぶこともできた。でも、それは私にとってあらたなスタートである。うまくいくと
 いいなあと思うこの頃である。

    

10月22日

 また、ダウン症や障害や出生前診断などへの感想も多く、学生の皆さんが命
の尊さについて考えてくれていることを知り、私は何よりも嬉しく思う。
 また、学生の皆さんのほとんどがこつこつと努力すれば必ず夢は実現すると
思う、夢を持ち続けることの大切さを感じたなど、嬉しい内容のものばかりだ
った。
 この日は佐々木先生の要望もあり、父も母も短い話をし、学生さんたちにも
好評だった。
 私の「21番目のやさしさに」をテキストとして使って下さった、この講演会
を通しての交流は思い出深いものとなった。
 私の英訳絵本と英語詩の朗読に合わせて、電子ピアノで伴奏して下さった近
川優美さんに感謝。
 そして、私の著書をテキストとして使って下さった佐々木美智子先生にも感謝!

伴奏の近川さん、佐々木先生とご一緒に

 「国家試験を受けようとするプレッシャーの中でも、綾さんの講演を聞いて私も頑張っていこ
うと思いました」、「看護師になれるかどうか自信を無くしていましたが、綾さんの講演を聞い
て私ももう一度頑張ってみようと思いました」という感想もあり、私も元気が出てきた。

 

 会場には看護学科専門課程1,2年生の学生さん
たちと諸先生方などでいっぱいだった。
 私の拙いスピーチを熱心に聞いて下さってとて
も嬉しかった。このスピーチを通して私も皆さん
からたくさんのことを学んだ。
 後日、講演会後のアンケートが届く。参加者ほ
ぼ全員、116名という多数のすばらしいアンケー
トの一枚一枚にこれから看護の場に行かれる皆さ
んのそれぞれの想いがぎっしり書かれていて、胸
に熱いものを感じた。
 

新校舎2階教室にて

 『21番目のやさしさに〜ダウン症のわたしから〜』加治木女子高校看護学科・特別講
演会(加治木女子高校・新校舎2階教室)
 この講演会は4月から半年間、私のエッセー集『21番目のやさしさに』をテキストに
使って下さった「教育心理学」の最終講義に講演会を企画して下さったものだ。

9月24日

特集:読書はゆっくり、ゆっくりと人に生きる力を与える

* 霧島市役所・総務部広報広聴課の竹下様、再来訪。広報きりしま
 9月号を届けて下さった。
  母は家族の写真の大きいのにびっくり。
  私の写真はとてもよく撮って下さっていて、久しぶりに私のお気
 に入りの写真となった。亡くなった伯父にも見せたいという気持ち
 でHPに載せることにした。
  広報きりしまを読まれた方々からたくさんお電話を頂いたり、お
 声をかけられたりした。恥ずかしい反面、とても嬉しく思った。竹
 下様に感謝!
  広報きりしまの「読書が彼女の可能性を引き出し“生きる力”を授けた」の記事全文
 はこちら。

9月3日

8月18日

8月16日
* 大阪の母方の伯父、急逝。
  突然の訃報を聞き、家族三人で絶句してしまった。いつかこの時が来ることはわかっ
 ていたつもりだったが、母はもちろん、私や父にとって心の支えを失った時の悲しみは
 大きいものがある。
  次の朝、通夜・告別式に参列するため、急遽大阪へ。

 

* ホテルを出て、あかね書房へ。
  前回訪れた時は工事中で、仮の会社での歓談だったが、とてもきれいな広いオフィスに
 なっていた。社長の岡本様、前編集長の重政様と久しぶりにお会いでき、歓談できて嬉し
 かった。
  また、オランダの童話The Silver Swan(ーシルバースワン『銀の白鳥』ー)を翻訳す
 ることになった。あかね書房からこの絵本を翻訳・出版できたら私にとって嬉しいかぎり
 だ。
  午後、JDSの中塚様、長谷川先生、水戸川様方と会食。楽しかった。
  その後、雨の中をリムジンバスで羽田空港へ。

6月14日

 もっと見てみたい絵もたくさんあったが、館内がものすごい人の波でかき分けて見るのも大変
だった。さすが六本木ヒルズ内森美術館ならではのすごい人出で、家族三人とも足が棒になるほ
どすっかり疲れきってしまい、最後までたくさんの絵を見終えることはできなかった。でも、せ
っかくここまで来たので入口前でパチリ。
 龍名館という都内のホテルで一泊。とてもきれいなホテルだった。
 レストランでの夜の食事もおいしかった。(^^)

 ホテルに荷物を預けて、ボストン美術館展ー西洋絵画の巨匠たちーを見に六本木
ヒルズの中にある森美術館へ。
 上野の国立西洋美術館には数回行ったことがあるので、今回は森美術館に行く
ことにした。
 六本木ヒルズに入るのは初めてであったが、この日は日曜日ということもあっ
てかなり人が多かった。人ごみの中、モネをはじめとする印象派の絵画を駆け足
ではあったが何点か見ることができた。残念ながら私の大好きなモネの睡蓮の絵はなかったもの
の、趣の違ったモネの絵も見ることができたのがよかった。

 歌碑のある安達太良山を望み、遠くの水面に光る阿武隈川を見ることができて福島でいい思い
出になった。
 歌碑を下り、二本松の街を通ってタクシーで郡山駅へ。郡山駅から新幹線で東京へ。

 あれが安達太良山、
 あの光るのが阿武隈川。

 かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、うつとり眠るやうな頭の中に、
 ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。

 二本松城(霞ヶ城)址を後にした私たちはタクシーで高村
智恵子の歌碑のある丘に上った。智恵子抄の一部が刻まれて
いた。
 智恵子の人生の伴侶・光太郎との夫婦愛が「智恵子抄」の
「樹下の二人」の一部に現れていた。

佐久間先生と智恵子の歌碑をのぞく

* いよいよ岳温泉ともお別れの日。ホテルを出てみると、佐久間先
 生がタクシーを用意して下さっていて松田先生たちと二台で二本松
 城(霞ヶ城)址に向かった。
  石段と石垣だけしか残っていなかったけれども、城址から見える
 二本松の景色はとてもすばらしいものだった。
  石段に座りながら、みんなで初夏のさわやかな風を満喫。
  二本松城本丸跡と書かれた石柱の横にて、松田先生とツーショッ
 トでパチリ。

6月13日

 講演会の後、佐久間先生のご自宅の近くのお店で交流会。ちょうどその時、取材に来ていた。
 地元のテレビ局が私たちの講演会のニュースを放映していた。栃木から小林先生が駆けつけて
こられて、とても楽しい交流会になった。
 初めて食べたあわびの丸焼きがおいしかった。

* 「本日は東京から参加しました。プログラムに変化があり、豊かさもあり、とても感激しま
 した。」など、たくさんのお心のこもったアンケートに私自身も勇気づけられるものだった。
  大混雑の中であまりお話ができなかったけれども、JDS(日本ダウン症協会)福島支部の理事
 の菅野様とお会いできて嬉しかった。

混雑する会場内入口でサイン会

 講演会は実行委員長の佐久間先生の挨拶で始まった。佐久間先生はいつになくスーツでばちっ
と決めておられた。
 450名の会場に立ち見が出るほどの500名近くの方々が集まって下さり、こんなにたくさん集ま
ったのは会館始まって以来のことだったと佐久間先生が笑っておられた。私の拙いスピーチをと
ても熱心に聞いて下さって嬉しかった。
 「ありがとうの会2010」実行委員会に寄せられたアンケートには次のような感想が寄せられて
いた。

 

 会場に入ると、松田先生が鹿児島からもう
すでに着いておられてバイオリンの練習をし
ておられた。
 昼にはMAGIC CANDY DROP(『魔法のドロッ
プ』)の原作者・松田幸久先生とリハーサル。
 松田先生はすばらしく、バイオリンが上達されて
いた。そして講演会でのコラボレーション。
 スピーチのクライマックスの英語詩「千の風にな
って」の朗読も息ぴったり合って、素敵な演奏会に
なった。

  

れていた。とてもすばらしいもので、すぐれた画家であったことを知り、平塚らいちょうの「青
鞜」の創刊号の表紙が高村智恵子の作品であったことにも初めて知った。また一つ想い出ができ
た。
 智恵子記念館(写真左)は生家・造り酒屋の裏に建てられて
いた。
 高村智恵子は造り酒屋の長女として裕福な家で生まれ、安達
太良山を望む二本松の自然豊かな環境の中で育った。でも、故
郷での53年の生涯を閉じた人生は決して幸せなものではなかっ
たようだ。二本松の街はそれを映し出しているようだった。

 「ありがとうの会」実行委員会主催:「ありがとうの会2010」ー生んでくれてありが
 とうー講演会in福島(二本松市安達文化ホール)
 

 講演会場が智恵子の故郷に近いことから、講演会が始まる前に智恵子記念館へ。

* 教科書「生命倫理」(有斐閣)のコラムの校正を担当の堀様に発送。
  校正のお知らせが長くそのままになっていたが、忘れた頃にやってきた。12月〜2011
 年1月にかけて出版される予定。  

 智恵子記念館にはきれいな紙絵や当時の女性としては珍しい油絵が一点展
示されていて、とてもすばらしいものだった。智恵子の油絵は火事で焼失し
てしまって、二枚しか残っていないという。そのうちの貴重な一枚が展示さ

6月12日

11月7日

8月11日
* 霧島市役所・総務部広報広聴課の竹下様、来訪・取材。
  実際にお会いしてみると、なんとNHK大河ドラマ「龍馬伝」で西郷隆盛役を演じている
 俳優の高橋克実さんのお顔にそっくりだった。
  2010年の今年は国民読書年にあたり、読書についての取材。

造り酒屋前で

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* 霧島市役所総務部広報広聴課の竹下様からお誘いを受け、霧島市政5周年記念式典に家
 族三人で行く(国分市民会館)
  なんと竹下様がオープニングセレモニーのミュージカルに出ておられてびっくりした。
 さらに舞台の上でお元気にハッスルしておられている竹下様の姿にも二度びっくり!
  好評のうちに終わったミュージカルは霧島市をもっと盛り上げようという市役所の職員
 たちの想いの詰まった、とても楽しいものだった。舞台を降りられ、終えられた後の竹下
 様と会場の外でお会いしたら晴れ晴れとしたお顔だった。

9月12日

* 告別式を終え、伊敷の伯父と一緒に四人で大阪(伊丹)空港より鹿児島空港へ。
  伯父との想い出は尽きないが、天国で伯父は千の風になって私たちを見守ってくれて
 いると思う。
  私は「乗り越える」という言葉はあまり好きではないが、この別れを「乗り越える」
 のではなく、「受け入れる」ことで前向きに今を生きていくことを日々大切にしていき
 たいと思う。

 

*「日本語と英語のスピーチ、本当に感動しました」