9月5日
   
NHK教育テレビ「福祉ネットワーク−大平光代様との対談ー」、放映。
   多くの方々からメールやお電話、お手紙を頂いた。感謝!
  〃,12日、同番組、再放送。
  〃,26日、新しい本のプロットを立てる。
  10月 いよいよ原稿書きを開始。
  〃,18日、「夢紡ぐ綾」3刷りの知らせが届く。
  〃,27日、台風が関東地方に接近。飛行機の時間を少し早めて東京へ。
    その影響もあってかなり揺れたが、無事到着。
  〃,28日(2日目)、風一過の東京の空は雲一つない日本晴れ。
    ホテルの部屋の窓の外からうっすらではあったが、頂に雪がちょこなんと乗った
   富士山が見えていた。ビルの合間だったため、ちょっと遠かった。 
    第11回多摩福祉会議研修会「夢や希望をあきらめない」講演会(黎明会あかつき
   ・4F集会室in東京・立川)
    遠路はるばる岩手、新潟、群馬などから会場に足を運んで下さった多くの方々が
   私の拙いスピーチを熱心に聞いて下さって、とても嬉しかった。
  〃,29日(3日目)、あかね書房を訪問。
    須藤様が社内を案内して下さり、社長の岡本様父子が私たち家族を快く迎え入れ
   て下さった。
    工事中で仮の会社だったが、その中で須藤様の後を引き継がれる予定の編集長の
   重政様を交えていろいろとお話を聞くことができた。とても貴重なひとときだった。
    そのあとNHK渋谷放送局へ。
    ディレクターの村田様と漫画家・河崎様、そして水戸川さんと再会し、歓談。初
   めて実際に入った放送局はとても大きかった。
  11月5日
   霧島賞の説明を聞くため、久しぶりに母校の牧園高校へ。
   高校生活三年間、父の車で新川渓谷や霧島温泉郷を通りながら学校へ通っていた私
  にとってあの時のことがとても懐かしく甦ってくる。統合され、「霧島高校」と新し
  い高校に生まれ変わっても私たち卒業生の高校に対する想いは強い。
  〃,7・14日、第41回日本作業療法学会の私たち家族の講演会模様がCSデジタル放送
   ・スカイパーフェクTV内「医療福祉チャンネル774」で放送。
  〃,20日、大平光代様ご一家、本願寺出版・松本様、大栗様来鹿。
  〃,照明寺にて大平様と月刊誌「大乗」のための対談。
  〃,23日、霧島賞授賞式in霧島高校(旧牧園高校)
    底冷えのする体育館で牧園高校同窓会会長・前田終止霧島市長から賞状を頂く。
  
 「霧島賞」は霧島連山とその大自然は本校の在校生や卒業生にとって常に心の故郷であ
り、心の支えでもあり、誇りである。この偉大な霧島の名を戴き、本校の誉れ高き賞とな
るように「霧島賞」と命名したーとある。私のような者にこのような賞を頂くとは思いも
せず、今でもまだ頂いた時の実感が湧かない。


 12月1日
 「霧島賞」受賞式の模様が南日本新聞に掲載。
 

  Diary (思い出の記録) Vol. 6

 2007・8月22日
 
    NHK教育テレビ「福祉ネットワーク」の収録のため、家族三人で大阪へ。
     ディレクターの村田様が空港に迎えに来て下さり、市内のホテルニューオータニ
    へ。
     レストランでカメラや音声の方達と打ち合わせ。
     夜は伯父一家と会食し、お寿司がとてもおいしかった。(^^)
     ホテルの私たち家族の部屋にいとこが京都のお土産などをたくさん持って会いに
    きてくれて、久しぶりに話し込んだ。
    〃,23日(2日目)、同番組、収録。
      川下(旧姓大平)様親子との初めての出会い。お母様の光代さんに抱かれた悠
     ちゃんはとてもかわいかった。
      大平様ご本人とのインタビューは初めてだったので、とても緊張した。ご自分
     の体験をしっかりとしたお声で語り、質問に応えられることに驚きながらもそれ
     についていった。
      夜はホテル内の和食レストランで悠ちゃんのお父様に夕食をごちそうになり、
     とてもおいしかった。悠ちゃんは大喜びで、私たちに何度も「ひこうき」のポー
     ズをしてくれた。     
  

 8月9日
  第136回体育同志会(学校体育研究同志会)全国大会・特別講演会(中原別荘in
 鹿児島)
  この会の実行委員のひとりで中学時代の体育担当・二川先生ご夫妻がおられ、特
 別な講演会になった。小・中学校を通じて体育が苦手だった私が体育の先生方の前
 で講演するとは思いもしなかった。
  二川先生ご家族とも久しぶりにお会いできたし、お集まり下さった方々のアンケ
 ートもとてもよかった。この夏の心に残る講演会だった。 
 〃,16日、民教連(九州民間教育連合会)・「夏の集い08」in宮崎(ホテル青島サ
  ンクマール)
   宮崎県には18年前の2000年の宮崎中央保健所:ダウン症親の会「ひよこの会」
  で講演をしているが、このひよこの会や都城からたくさんの方々が参加され、何
  年ぶりかでこんなにたくさん集まったと宮崎民教連の先生方が笑っておられた。
  (^^)母は40年ぶりに友人の方と会えて、喜んでいた。

 
     

高嶋ちさ子さんとの
コラボレーション

ホテルニューオータニで大平様親子と

〃,24日(3日目)、NHKアナウンサー住田様と再会。

 NHK大阪放送局内を見学した。放送中の朝のテレビ連
続ドラマ「ちりとてちん」の収録現場など、いろいろ
案内して下さった。  
 初めて見る放送局内の小道具など、珍しいものをた
くさん見ることができた。

ほっと関西630でアナウンサー
の住田様と

 御殿場は思っていたより暑くて、暑いと血圧が下がってしまう私にはハ
ードな旅でぐったりしてしまった。でもリハーサルの時の高嶋さんはとて
も優しく接して下さり、疲れが取れていくようだった。
 高嶋さんのお父様は日本に最初にビートルズを呼ばれたということだっ
た。
 お母様はとても美しい方だった。また、お姉様ははきはきしていてユー
モアあふれる方だった。とても素敵なご家族だった。
 コラボレーションの開かれた会場は外部からの入場者もおられ、800名
という大盛況だった。とても素敵な経験をさせてもらい、私にとって一生

高嶋ちさ子さんご家族と

2008・1月22日
 
   寄稿して下さる方々(南日本新聞社報道部)の渦尾(旧姓川口)智子さん、小児科医・松
   田幸久先生、近畿大学・巽純子先生)より原稿が届く。

   
2月20日
    
エッセー集『21番目のやさしさにーダウン症のわたしからー』、脱稿。
    今回の本の原稿書きは自分のことを本にするためで、昨年の夏から書き始めて試行錯誤
   の末にやっと終えることができた。このような体験は初めてで、最初は戸惑い、不安いっぱい
   の連続だった。でも、それは書くことの大切さと難しさを私に教えてくれた出来事だった。
    終わってみて肩の荷が下りたと同時に書き終えた時の達成感があり、今は書いてよかった
   と思えるようになった。
   3月6日
 
   出水養護学校(学校内・第2大会議室)でのスピーチ・交流。
    昨年の夏からこの学校の校長先生でプライベートでも父がお世話になっている米衛先生
   から講演依頼を受けていたのだが、本の原稿を書いていてなかなかお返事ができないでい
   た。あれからやっと一段落ついて、今回の講演に来ることができた。
    お集まり下さった多くの皆様が私の拙いスピーチを熱心に静かに聞いて下さり、とても嬉
   しかった。なかには熊本からダウン症のお子さんを持つ親御さんも来られていた。
    講演の帰りには武家屋敷に囲まれた一角の米衛先生のお宅へ。校長社宅で、庭や玄関
   先が広かった。
   〃,18日、校正送る。
   〃, 表紙の装丁。(見本・いわさきちひろの絵)    
  
 4月2日
  
  最終校正。
 
  〃,21日、『21番目のやさしさにーダウン症のわたしからー』の上梓。記念すべき
    日。
 
  〃,26日、西日本新聞社編集局社会部の東様、来訪・取材。
     東様とは5年ぶりの再会で、今回はエッセー集『21番目のやさしさにーダウン症のわ
    たしからー』の出版取材。5月19日の一面・「pinと」に大きく掲載。

  
 〃,28日、南日本新聞社文化部・吉田様、来訪・取材。
     5月5日(こどもの日)付の社会面に掲載。かわいいバラの花かごを頂く。
 
  〃,29日、松田幸久先生ご夫妻より鉢植えのグリーンの紫陽花がお祝いに届く。
 
  5月8日
 
   共同通信社鹿児島支局の山口様、来訪・取材。
    20年前の98年に私の大学卒業の時(三脚台に乗った姿で)に取材で来られた淵野さ
   んの後輩で、初めてお会いした山口さんはとてもきれいな女性記者さんだった。

 
  〃,12日、毎日新聞社鹿児島支局の福岡様、来訪・取材。
     福岡様は感じのよい方で、お母様が私と同じいわさきちひろファンということもあって
    私の本を母の日のプレゼントにしたと言われ、とても嬉しい気持ちになった。

     16日に掲載。
  
 〃,13日、昨年11月に母校の牧園高校で栄誉ある霧島賞を受賞したお礼に、『21番目の
    やさしさにーダウン症のわたしからー』を前田終止霧島市長に差し上げるため家族三人
    で霧島市役所へ表敬訪問。
     市長室で前田市長が快く迎えて下さり、今回の本もとても気に入って下さった。また、
    市長の秘書の方が鹿児島市出身のシンガーソングライター・辛島美登里さんの新しい霧
    島高校の校歌のCDか、テープを流して下さった。

 
  〃, 14日、朝日新聞社・生活文化グループの太田様、来訪・取材。
     大阪から遠路はるばる来られた太田様のお顔がNHK教育(Eテレ)テレビ「福祉ネット
    ワーク」の町永(アナウンサー)のお顔にそっくりだった。私の本を「温かい気持ちになり、
    勇気をもらった本でした」と言われ、とても嬉しかった。

  
 〃,28日、東京新聞・朝刊に掲載。(『21番目のやさしさに』の記事)
   6月3日
 
   宮崎日日新聞・くらし欄に掲載。(『21番目のやさしさに』出版記事)
    宮崎に住んでおられる父方の親戚より送られてきた。

 
  〃,12日、神戸新聞に掲載。(『21番目のやさしさに・・・・』出版記事)
     この記事を読まれた方より感動のご丁寧なお手紙が届く。

 
  〃,17日、四国新聞(香川県)の文化・生活欄に掲載。(『21番目のやさしさに』出
    版記事)
     香川県の中野雅俊先生より新聞が送られてきた。
 
  〃,田口惇子先生より『21番目のやさしさに・・・・』の出版記念祝いの花かごやプ
    レゼントなどが届く。(写真右下)お心遣いに感謝!


      
                        

 〃,本願寺出版より「大乗」が届く。
 〃,27日、イスラエルの新聞社『Harrez』よりメール取材。
   我が家の最初の本『走り来れよ・・・・』が現地の教育学会で発表になったという。
 〃,エッセー集『21番目のやさしさにーダウン症のわたしからー』に寄稿して下さる方
  々(小・中学時代の友人・斉藤<旧姓仁科>尚美さん、高田直美さん、中学三年間担
  任をして下さった大木先生、鹿児島国際大学短期学部・佐々木美智子先生)より原稿
  が届く。

Back!

 <07・8月〜2008・8月>

 実行委員会の皆様とコラボレーションをして下さった高嶋ちさ子さんに感謝、感謝!

の思い出になった。

 短かったが、とても有意義な時間だった。住田様には感謝!

   〃,20日、京都新聞(京都府)、信濃毎日新聞(長野県)、そのほか各県の地方紙等
   に掲載。(『21番目のやさしさに・・・・』出版の記事)

  〃,28日、朝日新聞・生活文化欄に掲載。(『21番目のやさしさに』出版の記事)
    とてもすばらしい記事だった。家族三人のカラー写真が鮮明に写っている。たく
   さんの方々からお電話やメールを頂く。
  〃,25日、全国障害者問題研究(全障研)の雑誌「みんなのねがい(みんねが)」:
   500回記念特集号の原稿依頼。

  7月11日
   健康保険人吉看護専門学校でのスピーチ。
   父のかつての上田精一先生が講義をしておられる学校で、今月の3月をもって統廃
  合されることになっていた。とてもきれいな学校で、校内も教室も真新しい。新しい
  建物だっただけにもったいなかった。
   2002年、講演に行ったおこば保育園の葎先生をはじめ多くの方が聞きに来て下さっ
  た。
  〃,27日、JDS(日本ダウン症協会)in御殿場(静岡)大会。
    世界的なバイオリニスト・高嶋ちさ子さんのストラディバリウスに合わせて「千
   の風になって」(9・11ニューヨーク・グラウンドゼロで朗読された)の英語詩を
   朗読。すぐそばで流れるストラディバリウスの音色は美しく、夢のようなコラボレ
   ーションだった。終わった時は思わず涙が出てしまった。

「受賞式」