Diary(想い出の記録) Vol.18
<2014・1月〜
「生まれてこないほうがいい命なんてない」の出版によせて
私たち家族にとって「生まれてこないほうがいい命なんてないー出生前診断によせてー」の出版は向
き合い、振り返る一つの節目になったと言えるでしょう。
7年前の2013年に導入された新型の出生前診断は綾にとっていやがうえにも向き合わなければな
らないものでした。ダウン症者本人としての意見を求められる取材も多く、そのうえ例年になくいくつかの
全国大会が鹿児島で開かれたために血圧が極端に低くなる夏場の講演も引き受けたのでした。
夏も終わる頃、綾の中でダウン症の人たちが否定されていくことへの危惧が深まり、自分が発信し
ていかなければとこの本の出版を決意したのだと思います。
一方、綾が泣いて抵抗した我が家の初めての本「走り来たれよ、吾娘よ」出版15周年を迎え、勧
めて下さる方たちもあって綾の詩集「ことばが生まれるとき」の出版記念会を兼ねて祝う会を開きました。
それが綾が15年を振り返り、自分を肯定する節目になったことはこの本のあとがきにみごとに凝縮されて
います。(本文・P62参照)
同時に、私にとってもまた綾が生まれてからの40年を振り返る時間でした。暮れからたまっていた疲労
と一人残っていた兄を癌でなくしたこともあって、綾も夫も原稿を終えてからも私は書けなくて編集者から度
々催促されていました。心配する綾にやっとできた原稿を見せると「お母さんは、こんな風に考えていてく
れたんだあ」と呟いて何度も涙を拭いていました。
私の文章に初めて見せる綾の感動の涙を見て、私は書きことばを理解することの大切さとその奥の深
さに驚いていました。言葉では言い尽くせないとよく言います。普段話しかけをよくすることはもちろんです
が、どの子にも書きことばを理解できるように、ことばを育ててやることの大切さをあらためて強く思っています。
(広報誌5月号より)
もくじ
1、かぎりある命のために
・白い百日紅
・かぎりある命にー出生前診断に思うー
・収録を終えてーNHK・Eテレ「出生前診断」
2、生まれてこないほうがいい命なんてない
・夕日 あのとき
・雨の永平寺
・対談・NHKラジオ深夜便
−生まれてこないほうがいい命なんてないー
・「小確幸」(村上春樹の作品の造語)と「幸せのかたち」
3、青春のあしあとから そして今・・・・
・宮崎アニメと私の卒業論文
・講演に寄せられた感想
・講演から生まれた素敵な出会い
4、命の灯を受け継ぐ
・「走り来れよ、吾娘よ」出版から15年によせて
・すてきな半生をありがとう(母)
・みんなで「ことば育ち」の扉を開こう(父)
おわりに
収録を終えて4人そろって
* 「ひかりの中で」往復書簡(3月号)ー食べることは生きることーの原稿を送る。
7月29日
貸切バスの入口前で
4月13日
私の新刊です!
* 同往復書簡(7月号)ー描くより見るほうが得意ーの原稿を送る。
3月31日
2014年を飛躍の年に!!
「生まれてこないほうがいい命なんてない」
−「出生前診断」によせてー の
*「大乗」出版へ原稿を送る。
3月29日
悠ちゃんも一緒に
* 朝日新聞文化くらし報道部・田中様、来訪・取材。(著書『生まれてこないほうがいい命
なんてないー出生前診断によせてー』関連)
1月28日
11月22日
10月1日
* 私が出演したABC朝日系列のラジオ特別番組「“ダウン症”は不幸ですか?〜新型出生
前診断スタートから1年ーダウン症への思い」が平成26年度(2014)日本民間放送連盟
賞・ラジオ報道番組部門で最優秀賞になった。受賞を記念して平成26年度文化庁芸術祭
参加作品として11月16日(日)の午後8時より再放送される予定だ。
武田アナウンサーや井之上チャルさんをはじめ、スタッフの皆様のダウン症や新型出生前
診断についての理解ある思いがたくさん詰まっていて私も出演してよかったと思えるようになった。
9月23日
* 叔父(母方の兄)の初盆で鹿児島市内の自宅へ。
遺影の叔父の顔は幸せそうだった。
如月 北緯三十八度線の彼方
朝鮮、ハムフン(咸興=かんこう)府郊外の
丘も河も凍てつき尽す二月が来ると
僕は十三歳の少年に返り このことばを繰り返す。
「おばあちゃん 土 着てますか」
* 父、墓参で北朝鮮へ出発。我が家の一大出来事であった。
3月7日
* ダウン症miniブック『この子とともに強く明るく』に載せる(昨年の豊島公会堂での)私の
3・21メッセージ原稿の校正を送る。
* 10月5日に予定されていたNPO法人「障害者自立応援センターYAH!DOみやざき」
主催:「出生前診断」を考える講演会が台風18号の接近で、11月2日に変更・延期となっ
た。そのため、宮崎市内のホテルに1泊。
11月1日
* ダウン症miniブック『この子とともに強く明るく』に載せるため、JDS(日本ダウン症協会)
広報部・上原様より(昨年の豊島公会堂での)私の3・21メッセージ原稿掲載依頼。
* 「週刊女性」編集部の徳住様(株式会社 主婦と生活社)より雑誌が届く。
8月14日
* 「ひかりの中で」往復書簡(5月号)ーアトリエの完成おめでとうございますーの原稿を送る。
* テレビ朝日系列のABCラジオ・特集番組「“ダウン症”って不幸ですか?〜新型出生前
診断スタートから1年〜ダウン症への思い」の収録のため、家族三人で大阪へ。
* 『生まれてこないほうがいい命なんてないー出生前診断によせてー』の記事が朝日新聞文
化・くらし欄に掲載。
なんとこの日が私の誕生日ということもあり、嬉しい反面、少しくすぐったい出来事であった。
2014年も嬉しいこと、悲しいこともたくさんあるかもしれま
せんが、力を合わせて頑張っていこうと思います。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
2014 元旦
岩元 昭雄
甦子
綾
2014年2月1日 刊行
父の宿題
* 「ひかりの中で」往復書簡(9月号)−父の宿題ーの原稿を送る。
第38回ダウン症等支えあいの会ーいのちのメッセージー講演会(北九州市立総合療
育センター・東棟2階保育室)
武田先生と4年ぶりの再会。また、遠く佐賀から来られた松本様ご家族と10数年ぶりの
再会。大きく成長され、美しい女性になられた怜子(さとこ)ちゃんにお会いできてとても嬉しか
った。
予定の1.5倍も方々の参加で、なんと会場が急遽変更になるというハプニングもあったが、
講演会はなんとか無事に終えることができた。
思いがけず高瀬先生と15年ぶりにお会いできて、とても懐かしく感じた。
4月4日
かもがわ出版
井之上様とツーショット
6月24日
3月13日
11月16日
父が祖父と曾祖母の墓参で6月24日〜7月6日までの12日間、北朝鮮へ
叔母(父の妹)と二人で行ってきた。その時の様子がテレビ画面に何度も映り、父
の留守中にも知らない方々からも次々に電話があったりした。
敗戦後、父たち家族は命からがら38度線を越えて線路上を歩きながら引き揚
げてきたと言う。ハムフン(咸興=かんこう)という街の丘に祖父と曾祖母を葬ってき
た、まだ13歳だった父にとって墓参は長年の宿題だったようだ。
私の知らない父の歴史に触れたような気がした。父の戦後がやっと終わったのだ
と母は言った。
父たちが生きて帰ってきたのだから、今の私が命の灯を受け継いでいるのだと思
う。
7月1日、父は祖父と曾祖母たちを葬ってきたハムフン(咸興=かんこう)の山の
見える丘までたどり着いた。しかし、その上までは行くことはできなかったという。
ハムフン(咸興=かんこう)の街の丘
出演者はJDS大阪支部の支部長で大阪医科大学の玉井浩先生、井之上さん、
武田和歌子アナウンサーと私の4人。(写真左)
新型の出生前診断についての街頭インタビューとダウン症のわが子を持たれる二組
のご家族の話も聞きながらの収録だった。
話すのがゆっくりな私に武田アナウンサーをはじめスタッフの皆様が配慮して下さり、私
自身も安心してこの検査についてダウン症者本人としての思いを自分なりに話すことができ
た。
井之上さん自身も結婚され、お子さんもおられている中で途中で涙を流しながら私の
話を熱心に聞かれていて、この検査に対しての考えをしっかりと話されていた。
ABCラジオの収録直前
「本当に綾さんの本、たくさん編集させて頂き感謝に堪えません。綾さんが文章家としてすごい才能
を発揮してこられたことを今回も堪能しています。「こんな達者な文章が書けるような人になったんだ!」と、
時として綾さんの文章力に驚くばかりです。これは「21番目のやさしさに」ですでに気づいていましたが。な
にげない文章に「オー、こんなに表現ができるんだ!」と感嘆した個所がありました。
今回も特に「詩」は綾さんの思いを十分に発揮できていますね。やはり小学生からの日記を書くとい
う積み重ねがこんなふうに花開くのかと感嘆するばかりです。(かもがわ出版編集者・鶴岡淑子)
大平光代様から岩元綾さんへ
「ことばを育てるということ」(4月号)掲載。
岩元綾より大平光代様へ
「若葉の季節に」(5月号)掲載。
大平光代様から岩元綾さんへ
「念願のアトリエ完成」(6月号)掲載。
大平光代様から岩元綾さんへ
「夏休み真っ最中です」(8月号)掲載。
大平光代様から岩元綾さんへ
「人と人のつながりが一番!」(10月号)掲載。
大平光代様から岩元綾さんへ
「ステンドグラス教室」(12月号)掲載。
3月17日
* 第45回かいろすコンサート(鹿児島ラーメンみよし家 牧ノ原店)
毎月11日は東日本大震災から3年目という節目にあたり、それを皮切りに鹿児島市内
で開かれているコンサートも今年で45回を迎えた。
川野先生の歌声はとても美しく、当時女性初のMBC(南日本放送)チーフアナウンサー
をされていた奥様(澄本禎子さん)の詩(『ことばが生まれるとき』より「銀の白鳥:シルバース
ワン」)の朗読は私の心に響き渡り、まるで自分の詩ではないようにすばらしく思った。
チェロやフルート、ピアノによる素敵な演奏、歌のほか絵本の読み聞かせもあり、とても楽し
い夜コン(コンサート)だった。私も「千の風になってーA Thounsand Windsー」(9・11グ
ランドゼロで読まれた詩)とジョン・レノンの名曲Imagine(イマジン)を朗読した。すばらしい体
験をさせて頂いた川野先生ご夫妻に感謝!
* 「ひかりの中で」往復書簡(3月号)ー同タイトルー、掲載
3月1日
* 志摩組同朋運動公開講演会(糸島市健康福祉センターふれあい)
浄土真宗のお寺のお坊さん達主催の講演会で、今もなお連載中の川下(旧姓大平)
光代様との「大乗」の往復書簡の縁もあって今回の講演会となった。
矢野様親子と15年ぶりの再会。琴乃ちゃんのかわいい笑顔とともに成長されたお姿に
出会えて嬉しかった。
2月9日
出版にあたり、この診断について本にすることはとても難しいことだった。私の中でダウン症の人たち
が否定されていくことへの危惧が生まれ、自分が発信していかなければと強く思い、書きことばとして
残そうと出版することにした。そのことは私にとって自分と向き合う大切な時間となった。
私自身もダウン症者本人としてだけでなく一人の人間としてまだまだ伝えきれていないことがいっぱ
いあるけれども、この本を手にしてその重みを今感じている。
12年前の2008年に出版したエッセー集『21番目のやさしさにーダウン症のわたしからー』の時
と同様に、書くことの難しさを今回のこの本の出版で感じ取ることができた。これをきっかけに今後の活
動にかしていきたいと思う。
* 『生まれてこないほうがいい命なんてないー出生前診断によせてー』、上梓。
2月1日
* 新著『生まれてこないほうがいい命なんてないー出生前診断によせてー』、届く。
できたてほやほやの本と私の好きな色ピンクの表紙がとても美しい。
7年前の2013年に導入された新型の出生前診断についてダウン症者本人として、一人
の人間としての思いを綴らせて頂き、このような形で出版できたことが何よりも嬉しく思う。命の大
切さだけでなく生まれてくる新しい命を大切にしてほしいという思いを込めて書いたこの本を多く
の人たちに読んでくれることを願っている。
この本の帯の推薦文を書いて下さった岐阜長良医療センター・周産期部長の川鰭市
郎先生をはじめ、私に出版の機会を与えて下さったかもがわ出版編集部の鶴岡さんに感
謝!!
1月31日
* ABC朝日ラジオ系列・特別番組「“ダウン症”は不幸ですか?〜新型の出生前診断
スタートから1年〜ダウン症への思い」、午後8時より放映。
* 「2014年度 学びと交流の集い」:“隣国朝鮮への旅”を開く会〜近くて遠い国・北朝
鮮ー墓参訪朝を終えてー「少年の日、その後〜今」〜(鹿児島教職員組合会館・3階中
会議室)主催:鹿児島子ども研究センター
予想を超える多くの方々が集まって来られ、会場を広げたり資料を刷り増ししたり、とてもきれ
いなかわいい花かごも届いたりで先生方も嬉しい悲鳴だった。
私は父の壮絶な少年時代の話を直に聞いたのは初めてだったので、胸がいっぱいになった。
辛い思いをして、生き延びてきた命だから一日でも長く生きていてほしい。
11月9日
* 『生まれてこないほうがいい命なんてないー出生前診断によせてー』を埼玉県立小児医療
センター遺伝科の大橋博文先生に送る。
10月25日
* 有限会社データワールドの難波様とカメラマン兼編集者の永山様、来訪・取材。
子ども向けの書籍を制作している会社の方々が来られるとのことで、どんな形で本にされるのか
興味があったので取材をお引き受けした。
今回の取材はインタビュー形式で、2015年度学校図書館セット企画でポプラ社を発行
元とし、小学校中学年以上を読者対象とする学校図書館・図書館向けのシリーズ本「ほん
とうのバリアフリーってなんだろう(仮称/全5巻)」制作のため、50名の方々にインタビューし
ていく形式だった。
ポプラ社や福音館書店などの絵本を私が物心ついた頃から読んだことがあったので、客間
のテーブルに準備で広げた絵本の数々にその環境の中で囲まれた想い出が甦ってくるようだ
った。
10月15日
9月21日
9月4日
(中略)
6時から始まった収録も予定時刻の9時で無事に終わり、井之上さんと達成感を分
かち合うことができた。
本収録を終えてスタジオを出ると、ABCラジオの番組スタッフの皆様が出迎えてくれた。
これまではラジオ深夜便での番組出演以来で、大阪のスタジオでの収録は初めての
体験だった。また、スタッフの皆様の温かいおもてなしに触れてやってよかったと思えるように
なった。
武田アナウンサーや代表取締役の石原様をはじめ、スタッフの皆様に感謝!!これ
をきっかけに今後の活動に活かしていきたいと思う。
つづく
8月15日
3月20日
11月2日
香川・中野先生から送られた干支の壁掛け
私は20数年来、毎週日曜日の昼のひとときをテレビ朝日系列のABC放送
局内のクイズ・エンタテイメント番組「パネルクイズ・アタック25」を楽しみながら
過ごしている。この局のファンということになる。
このラジオ番組は「武田和歌子のぴたっと」。アシスタントで俳優の井之上チ
ャルさんが出るものだった。
まさか実際にお会いできるとは夢にも思わなかったので、私自身も大興奮!
時代劇を見るのが好きな私にとって井之上さんとの出会いは貴重な体験だった。
お会いできた時の喜びの余韻を残し、気持ちを切り替えて本番収録に臨んだ。
*「ひかりの中で」往復書簡
* ノンフィクション作家の河合香織様、来訪・取材。
7年前の2013年に導入された新型の出生前診断について、5月20日発売の『G2』と
いう講談社のノンフィクション月刊誌でルポルタージュにまとめて最終的に書籍化させるため
の取材だった。
初めてお会いした河合様はとても感じのよい方で、この検査に対して私の反対の立場をよく
理解して下さり、嬉しく感じながら安心してダウン症者本人としての私の思いを話すことができた。
* 「ひかりの中で」往復書簡(1月号):−新たな挑戦をしますーに掲載。(『生まれてこない
ほうがいい命なんてない』の出版に向けて)
2014・1月1日
* 大阪のいとこ夫婦が4日間の休暇を取って来鹿(鹿児島)する旨の電話やメールをもらい、
29日に会う予定。
11月19日
「出生前診断」を考える講演会(宮崎市中央公民館)
第26回九州作文の会in宮崎の講演会(8年前の2012年)に来た時の会場で、とても
懐かしく思った。
10月29日
* 「ひかりの中で」往復書簡(11月号)ー自然の猛威から学んだことー(仮題)の原稿を送る。
* 「週刊女性」:「生殖医療の光と影ー新型出生前診断・私はこう思うー」(10月7日号発
売)を赤字の訂正を入れながら送る。
9月17日
* 週刊女性:ライターで健康ジャーナリスト・イラストレーターの山崎ますみ様と電話取材。
話すのがゆっくりな私に山崎様が合わせて下さり、とても心強く、嬉しかった。
昨年(2013年)に導入された新型の出生前診断についてダウン症者本人として私の思いを
電話で安心して話すことができた。
* 平成2年(1990)日当山中卒業同窓会に参加。
中学時代の想い出話に花が咲いた楽しい同窓会だった。
30年という年月を経て、懐かしいクラスメートと再会できてとても嬉しかった。
そして何よりもみんなが私のところに駆け寄りながら話しかけてきて私をテレビや新聞記事等で見
て知り、「同窓生として誇りに思う」、「“ダウン症”という障害を知らなかったけれども、とても勇気
づけられた」など言ってくれたことだ。私自身も心強く思いながらクラスメートとの強い絆を感じ、
同窓会に行ってよかった。
* 平壌(ピョンヤン)から北京(ペキン)を経て、羽田へ帰国。
羽田から鹿児島へ帰宅。
長い父の宿題の旅は終わった。
7月6日
氷が解け 土がゆるみ 遅い春には リンゴが咲き
初夏には 郭公が鳴くあの丘のあたり
その地を ならず者の土地と吠え立て
(中略)
「おばあちゃん 土 着てますか」
あなたは また来る冬も 凍てつくあの丘で
身に覚えのない侵略の罪を償うのだろうか
「おばあちゃん 土 着てますか 土 着てますか」
「おばあちゃん 土 着てますか」
6月27日〜7月4日
* 現地(北朝鮮)の貸切バス(写真左)で、墓参参加者の方々の9名で元山(ウオンサ
ン)、清津(セイシン)、古茂山(コモサン)と回った。
7月1日
* ハムフン(咸興=かんこう)市の北部の丘・市街地へ。
祖父と曾祖母たちの墓碑を建てて弔った。
その時、詩を読んでいる父。(写真下)
* 同系列のABCラジオ番組、放送。
5月25日
5月20日
麦の芽福祉会学習講演会(鹿児島県立青少年研修センター)
加治木看護専門学校(現・学校法人鹿児島学園龍桜高等学校)の宿泊講習講
演会(2011年)でのスピーチ会場でとても懐かしく、私にとって感慨深いものがあった。
200名以上の方々がお集まり下さり、私のスピーチを聞いて下さってとても嬉しく思った。
黒川先生や清原先生、米衛先生とお会いできてとても懐かしく思った。
4月29日